論文至上主義をゼロから考える〜その薬の効果はどのくらい?〜

猫好きの猫になりたい薬剤師です。どう医療に関わっていくか等々、薬剤師の一人である自身の感じたこと、考え方を投稿していきます。備忘録的な役割が大きいです。本ブログの記載内容については一切の責任を負えません。原著論文を参照して下さい。また情報の二次利用につきましては各々の責任でお願いいたします。記載内容に誤りがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

かかりつけ薬剤師とは何ですか?

はじめに断っておくと、2016年4月1日からはじまった制度の説明ではありません。

私の内のコトバの定義を記します。

と、言いつつ制度内容にも触れます。

 

 

ある先生のコトバにかなり影響を受けている私、その私が考えている "かかりつけ薬剤師" とは、

『患者さんが困ったときに顔が浮かぶ薬剤師』

『なんでも相談しやすい薬剤師』

『処方箋がなくても話をしたい薬剤師』

です。

 

このような文字を羅列すると、患者に寄り添いすぎでは?という意見も出そうなものです。

私が言いたいのは『まず寄り添ったっていいじゃないか』という事です。

 

個々人が正しいと信じる医療行為あるいは介入は個々人の考えで、各々のアタマの中にあることです。

これは治療を受ける患者とは、そもそも切り離されていると考えた方が自身の考えを俯瞰するのに適していると私は考えます。

 

その上で長期的な薬の服薬サポートはもちろん、不定愁訴があれば処方提案もしますし、飲めない薬の管理もする。

まず寄り添わずして不定愁訴を聞くことができるのでしょうか?

寄り添いながらも俯瞰する。一旦は受け止め、その後に向き合ったって遅くはないのでは?と私は言いたい。

 

これは患者さんの困っている事に対してのソリューション、コンプライアンスアドヒアランスの向上が、医療あるいは医療行為を行う上で良いであろうと考えているアタマの中の私が先行しているからに他なりません。

 

そして今まで正しいと信じて行ってきたことが、今年度、2016年4月からは新たな制度として明文化されました。

 

最初は、この制度自体に疑問を抱いていました。

なぜ明文化されたのか?

なぜ今まで行ってきたことが調剤報酬として評価されるのか?

薬剤師は仕事をしてこなかったではないかという意見の根拠は何か?

薬局数を半分(あるいはそれ以下)にするという構造は何か?

 

そして、こうも考えるようになりました。

『この疑問は解消するのではなく、常に自分に問いかけながら仕事しよう』と。

 

2年に1度の診療報酬改定と調剤報酬改定、次回は2018年度、介護報酬改定との同時改定です。かかりつけ薬剤師に求められることがさらに増えるのかはわかりません。

本当は現場から声を発していき、それが制度として盛り込まれる形にしたいものです。

 

そうそう、制度がどう変わろうとも薬剤師としてやるべきことは変わらないのでは?という意見も時々見かけますが、ヒトはそんなに強くないよと言いたい。

ちょっとしたコトバに同調することもあれば、自身の考えを疑うこともある。つまり制度改定という変化に影響を受ける生き物なのです。

 

制度というルールの中で薬剤師一人一人が日々変わっていないのであれば、それは怠慢であり退化です。

現状維持はヒトが日々変わっているから出来るのであって、以前の私と今の私、未来の私の間に同一性はないのです。

 

自身のアタマの中の薬剤師像を追いかけながらも常に俯瞰し、正しいと信じる医療を実践するためにエビデンスを探し、目の前の患者に対し最適であろうと信じる医療は何かと自問自答していくのが、私の考える『かかりつけ薬剤師』です。

 

そして、この考えはEBMという行動指針によって実現可能ではないかな?と考えています。