論文至上主義をゼロから考える〜その薬の効果はどのくらい?〜

猫好きの猫になりたい薬剤師です。どう医療に関わっていくか等々、薬剤師の一人である自身の感じたこと、考え方を投稿していきます。備忘録的な役割が大きいです。本ブログの記載内容については一切の責任を負えません。原著論文を参照して下さい。また情報の二次利用につきましては各々の責任でお願いいたします。記載内容に誤りがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。お問い合わせはこちらまで→【noir.van13@gmail.com】

ア・プリオリpriori と ア・ポステリオリposteriori とは?

カントの認識論で、よく用いられているコトバ。

 

私個人の解釈では、

ア・プリオリとは "経験によらず" もともと備わっている能力や個性。つまり経験から独立した認識。

→ 先天的、直感的なものという『コトバ』。

→ 分析的な判断は、その真偽において経験を必要としないためア・プリオリである(厳密に言えば、分析的判断を下すのに経験が必要)。

→ センス?

 

ア・ポステリオリとは "経験により" 得られた認識。ア・プリオリと対極に位置するとされる。

→ 後天的、総合的なものという『コトバ』。

→ 総合的な判断を下す為には、分析的判断に加え、経験に基づいた能力、知識が必要である(厳密に言えば、総合的判断を下すのに一部直感も必要)。

→ 努力?

 

"倫理的に人を殺しては行けない"とか、"モラルの観点からAよりBの方が良い"とか、"〇〇は当たり前だ" とかいう認識は、個々のアタマの中にあって、これをカタチ作るのは環境や経験であると考えている。

 

従ってアプリオリもアポステリオリも各々が独立するものではなく、個人の認識を構築する上でのアプローチの違いであり、認識構成に影響を与えあうコトバであると個人的には認識している。

 

 

以下は大辞泉よりの引用

⌘  ア‐プリオリ(〈ラテン〉a priori)

[名・形動]《より先なるものから、の意》中世スコラ哲学では、因果系列の原因あるいは原理から始める認識方法をいい、カント以後の近代認識論では、経験に依存せず、それに先立っていることをさす。 

 

⌘  ア‐ポステリオリ(〈ラテン〉a posteriori)

[名・形動]《より後なるものから、の意》中世スコラ哲学では、因果系列の結果あるいは帰結から原因や原理へ向かう認識方法をいい、近代認識論では、経験に基づくことをさす。